2010年9月25日土曜日
紙による立体制作
組み立て式の小さな段ボールを一つ。どのように加工しても良いから『家』を作りなさいという課題を出す。箱のままでもなんとか家に見えるが、工夫次第でかなりの表現ができる。窓を穿つ。パーツに切り分けて再構築する。パーツで家具をつくるなど。
2010年9月21日火曜日
砂の絵1
砂絵とは、色味のある砂を使ってつくる絵である。砂は自然ではどこにでもある素材であり、色もだいたいは渋いので落ち着いた作品がつくれそうである。人工的に作られた砂を使えばそれなりのビビッドな雰囲気にできる。砂でつくるといいえば、チベット密教のマンダラが想起される。長い時間かけてつくり一気に消し去るという儀式。静止した世界に動的な動きを直接加えるという不思議な手法である。
2010年9月19日日曜日
映像表現素材5
音楽の世界にいおいてサンプリングやカットアップは、歴史的な位置づけが出来つつある。しかし、映像で同じような定番ジャンルがあるかどうかといったらそれは説明しがたい。手法としては断片的な映像を複数つなぎ合わせるようなものは多々ある。MTVが築いたミュージックビデオの作り方は、音楽からのインスピレーションであろう。ビデオ映像とスチル写真の中間のものはあるだろうか。私はこれを極小カットと命名したい。
2010年7月28日水曜日
映像表現素材4
思い描いた未来は現実になる。
イタリア未来派の建築家サンテリアの都市計画スケッチ。若くして亡くなった彼が現代都市の摩天楼を見ることはなかったが、恐ろしいまでの現実感は今ここにある。タルコフスキーの映画『惑星ソラリス』、未来の高速道路。実は当時でき上がってきた東京の高速道路をただ撮っただけ。当時の未来観は、東京で日常として実現されていたのである。
イタリア未来派の建築家サンテリアの都市計画スケッチ。若くして亡くなった彼が現代都市の摩天楼を見ることはなかったが、恐ろしいまでの現実感は今ここにある。タルコフスキーの映画『惑星ソラリス』、未来の高速道路。実は当時でき上がってきた東京の高速道路をただ撮っただけ。当時の未来観は、東京で日常として実現されていたのである。
2010年7月17日土曜日
映像表現素材2
現在最も映像に触れられるシーンは、テレビである。テレビが無かったかつての時代は、映画館が映像体験の場であり社交の場であった。日本の放送局が作り出すテレビ番組の歴史は半世紀を超えている。報道番組やバラエティ、ドラマなどいわゆる定番の手法は円熟飽和していて、視聴者参加型などという苦しいやらせに新手法を見いださないまでも、テレビ番組は一時代を終えている。かろうじて映画やコンサートの放映などが、今もって価値をもっている番組である。
映像表現素材1
映像メディア表現について。映像装置の進歩は、学校教育のペースに遠慮することも無く劇的で一方的である。どちらかというと、これこれこのような技術と機器が発明されたから教育現場で使ってみようという場合が多い。プレゼンテーションにラップトップコンピュータやプロジェクターは必要なこともあるが、これを無理に授業に使おうとすると膨大な無駄が生じる。すなわち内容そっちのけでテクニックに走るという結末である。
2010年7月2日金曜日
絵地図の制作4
絵地図の資料として撮影する写真を、映像を撮るがごとく連続してつなげると、実際の映像よりも情感がこもった印象の絵になることがある。いわゆるフォトシネマというジャンルのものである。一枚の写真であればそれで世界が成立するが、複数の写真を使う場合、何らかの関連または断絶が無ければストーリーにならない。映像の手法であるクローズアップやパンなど、静止画でもある程度の質は確保できる。
2010年7月1日木曜日
絵地図の制作3
絵地図を作るにはかなりの取材が必要である。いわゆる街歩きである。見て聞いてメモをする、スケッチをする、というのが定番であろう。現在、携帯電話をもっていない人間はいないほど普及している。携帯電話には用も無いのに高機能なカメラがついている。日常生活ではオーバースペックなこの機械を取材に使わない手はない。意識的に大量の写真を撮ってくるのが良い。
2010年6月28日月曜日
絵地図の制作2
地図を絵にするには取材が必要である。建物にどのような特徴があるのか、どのように見えるのか、本物を頼りにしないと魅力的な絵にはならない。デジタルカメラによる取材は、手軽に大量の静止画を参考資料として用立てるのに役立つ。デジタルカメラによる映像取材もまた、詳細を後になって何度も確認するのに役立つ。定点観測をし、人や車の流れを観察するのも、地図の特徴を出す上でおもしろい試みである。
2010年6月20日日曜日
絵地図の制作1
街を知るにはまず地図である。正確な縮尺ではなく、内容によってデフォルメされた地図。立体的な要素が含まれる地図。手で描いた地図。絵地図の可能性は大きい。まず地域にフィールドワークに入り、歴史的背景、人々の暮らし、観光、様々な面から資料を揃える。
2010年6月18日金曜日
パペット人形の制作3
人形のボディは純粋な彫塑造形になる。しかし、その外皮は服飾の世界であり、針と糸を使うマニアックなものである。操作は演劇の要素が含まれるので、全体としての出来は総合力が重要なポイントとなる。単なる一点ものの美術作品には収まらない。逆に、そうであるから、人形世界という閉じられた表現空間を設定しその中で評価を定めるのも可能になる。
2010年6月14日月曜日
パペット人形の制作2
パペットというからには、操らなければならない。各部分が可動状態であり、それらを糸などを使って動かす。手でもってつり下げるような形状のもの。下から棒で支えて動かすもの。糸がからまらならないように長さと位置を調整する。少し凝った作りがあるとしたら、一つの操作で各部分が連動して動く仕掛けである。人間の体も頭を動かすのに腰から背骨など連動して部分を動かす。メカニズムを理解して組み立てる製作は高度な造形の経験となろう。
2010年6月13日日曜日
パペット人形の制作1
操り人形は世界各国に民芸としてある。日本でも人形浄瑠璃では精巧に作られた人形が使われる。ヨーロッパではチェコの人形劇が有名である。演劇の要素が主であるから、人形自体は構成要素として扱われがちである。操ることができる人形を機構まで含めてデザインするおもしろさはあるだろう。またできあがった人形をつかって物語を展開する楽しみもできる。
2010年6月8日火曜日
美術室はメディア2
学校の美術室には、授業で作った作品が展示してあったり、美術展やコンクールのポスターなどが貼られていたりする。なんとなく目に入っているもの。これは街中の広告であったり、テレビのCMであったり、意識せずに目に入ってくる様々なメディアの一つといえる。展覧会のポスターやチラシは、美術館が気合いを入れて作成してあるものであるから力作も多い。一般的にA4のチラシ、B2サイズのポスター。多く揃えればマスメディアの一つなるような質はある。
2010年6月7日月曜日
美術室はメディア1
昔の記憶をたどれば、高校や中学校の美術室また美術研究室などというものは雑然としていて、何かどこにあるのかわからないところであった気がする。そこにやはりわけのわからない、およそ社会性とは無縁で無精な先生がいて、何かもくもくとやっている。先生よりもその場所の不思議な居心地を感じる。美術室はそれで一つのメディアである。
2010年5月31日月曜日
楽器の造形2
楽器の素材で多いのが木材である。木目の出たギターのボディは美しい。楽器は人間が操るのであるから、人間にとって心地よい素材でつくるのが適切である。自然素材を風合いを残した上で、造形にどれだけ取り入れられるのかポイントとなる。尺八などは竹の根っこそのものであって、ここまではいかなくても原材料が生きていた自然状態を加工後にも再現するのがよい。形態を真似ても感性上は近いものになる。
2010年5月26日水曜日
楽器の造形1
楽器は音楽を奏でるという本来に加えて、調度品としての価値がある。ピアノはあるだけでアカデミックな雰囲気が出るし、なによりも黒光りした質感が美しい。ギターの類など、ボディやネックにきれいな装飾を加えてあって、弾く楽しみからさらに工芸品を所有する楽しみまで生じる。美術教材には、ウクレレ、カリンバ、オカリナなど簡単な楽器を飾る工夫が、造形表現として面白味をもつ。素材について、一般的な木材、竹、土。金属は打楽器にして、特性をうまく試せそうである。
2010年5月24日月曜日
日本の子どもが描く絵5
日本の家族形態は一夫一婦制である。一家族での子どもの数は、かつては多かったであろうが、現代はほんとに少ない。子どもをつくらない夫婦や、結婚しない成人も多くいる。子どもが描く家族の絵もその変化と同じく、典型的な像を見つけにくくなっている。授業で家族を描きましょうという題材は設定しにくいのではないだろうか。では、何を描くのかが問題である。動物は扱が難しいが家族像のかわりになる。生物種としての親子を観察して描くのにはよい。ヤギやウサギは親と子を把握しやすいので好例。カエルなどは例外を除き、子育ても現代の荒んだ家族にも増して厳しく放任である。それを見れば子どもが自らの不遇を全否定することはなくなるだろう。
2010年5月23日日曜日
日本の子どもが描く絵4
日本において西洋的な美術教育が公の場で取り入れられたのは明治維新以後のことである。この時期多くの学者や芸術家が海外を旅した。日本に輸入された西洋芸術もこの時期のものが起点となっている。ダヴィットやアングルよりもモネやルノアールに知名度があるのは、どこを起点とするかに影響していると思われる。未だに日本の子どもたちは、たった一時期の流行のみをお手本として、ゴッホのような児童画を描き続けるのだろうか。現代美術をうまく消化している先生の手によって、状況は少しずつ変わりつつあるのであるが。
2010年5月19日水曜日
日本の子どもが描く絵3
印象派のような点描の手法で着彩する子どもがいる。しかし多くの場合、筆致が似ているだけで本当の意味での印象派の表現にはなっていない。印象主義は、自然の光の素直な観察から始まっている。観念的な固有色のみを描くのではなく、太陽の動きに合わせて刻々と変化する光の向きや色合いを、純粋な色調のままキャンバスにとらえるというのが目的である。したがって絵の具はできるだけ濁らせず、隣り合うかすかな色は混ざらないように点描する。子どもの使う色数が少なく、まだらになってるだけで美しくない作品は多く見かける。何故だろうか。
2010年5月18日火曜日
日本の子どもが描く絵2
人物を描く素描が課題として出さされた場合、必ず髪の毛を中心に描く。ある程度イラストなど描き慣れている子も、髪の毛を主たるモチーフにして人物を描く。思春期の中学生が、やたらに髪の毛を気にしていじりまくるのと同調している。目鼻口に注目するのではなく、頭髪である。何か日本的なものの見方があるのかもしれない。主体に直接触れるのではなく、間接的な環境である器を見て事象を判別するのである。
2010年5月17日月曜日
日本の子どもが描く絵1
日本の教育を受けてきた子どもが描く絵に何故か特徴的な傾向が見られることがある。たとえば、太陽は赤に描く。日の丸が赤であるから、自然に太陽は赤となるのだろうか。朝日と夕日は赤に見えることがある。画面の端に、四分の一に切られた太陽を描く子どもがいる。ど真ん中に描けないという日本的なおしとやかさであるのか。描きたいものが主役で、太陽は脇役であるというのであれば理解できる。真円を描くのが難しく、労力を節約できるという理由もあるかもしれない。
2010年5月14日金曜日
デッサンの鉛筆
デッサンに使う鉛筆には描く人によってこだわりがある。日本製品をこよなく愛す人もいれば、ドイツ製を信じて使う人もいる。日本の鉛筆メーカーではトンボと三菱が有名である。三菱のハイユニはよく使われる。濃密な黒、それも黒光りする黒を描き出すことができる。油分のせいか書き味は滑らか。でもテカる。ステッドラーは定番である。つや消しのきれいな黒。ハイユニに比べて硬質な感じがある。どれを使うかは好みであるが、色の違いを体験するのはおもしろい。
2010年5月11日火曜日
練り消しで描くこと
デッサンで使う”練り消し”という特殊な消しゴムがある。練って柔らかくなり、形を自由に変形させて好みの消し具になる。鉛筆や木炭で黒色を加える描画ではなく、黒色から取り去り白を描いていくという方法。加算ではなく減算の方法である。練り消しをうまく使うことは、受験デッサンの様式美のようなものであるが、消すことのみに注目する題材があってもおもしろい。
2010年5月3日月曜日
ダイヤブロックの技術
ダイヤブロックのすごいところは、一つ一つのブロックの完成度である。適度な力で結合でき、また逆に簡単に外すことが出来る。一見なんでもない作業である。しかし工業製品で常に高度な基準を満たすのは難しい。どれ一つとして不具合のあるパーツは無いのである。長年の技術の蓄積と加工技術の粋を集めた結果である。そしてすべては手を使って遊ぶために最高の工夫をもってつくられている。
2010年4月27日火曜日
ダイヤブロックで知る制限の大切さ
ダイアブロックの接続は一方向であって曲線がつくれない。直線を徐々にずらすことによって曲線を想定する。構築方法で大きな制限がある。最近のダイアブロックはフレキシブルに動かせる関節パーツがあり、相当な工夫ができるようになってきている。しかし、ブロックの良さは制限そのものである。制限があるからその中でイマジネーションを働かせられるのである。制限をかけることが想像を膨らます場面もある。
ダイヤブロックをデッサン
ダイヤブロックは接合部が直線的で、つなげれば均質な平面になる。もののかたちをとらえるときに、立方体、直方体、円錐や球といった要素に還元すると構造を把握しやすい。セザンヌはそのようにして絵を描いた。ダイヤブロックでつくられた形態をデッサンの練習として描くのは基本練習としてはよいかもしれない。だだし、あまり複雑すぎると混乱する。
2010年4月26日月曜日
ダイヤブロックの色彩
ダイヤブロックには基本セットであれば、青、赤、黄、緑と原色系で子ども受けが良い色のブロックが含まれている。最近、モノトーンや中間色の特別セットが出てきている。色彩の対比を試す場合、色見本でも良いが重量感が無い。ブロックという立体を合体させて、色の取り合わせを試せば、印象深い色彩の学習ができるのではないだろうか。もっと多色のブロックを発売して欲しい。
2010年4月25日日曜日
ダイヤブロックで美術教材
ダイヤブロックはすばらしい。Legoの日本版などという安易な評価はするべきでない。40年にわたる技術開発と経験。ブロック一つ一つに込められている設計の巧みさと品質。純粋な日本生産である正真正銘のメイドインジャパン。子どもの手で楽に組み立てられ、またはずすことができるということは何気ないが、単純なことを確実に行うために数々の工夫がこらされている。
2010年4月14日水曜日
デッサンにおける光のコントロール
人間の目で対象のかたちを見極めるには、光を捉えなくてはならない。光は太陽光の性質が基本である。人工的な光は光源が近いので、拡散する性質から光線を正確に捉えるのは難しい。太陽光のように限りなく遠い光源から平行に射してくる単純な光線を想定しにくいのだ。光は拡散もするし、回折もする。物体があって空気があれば反射光もできてくる。デッサンは平行光線を基本に環境光をアレンジして、モチーフが最大限に美しく見える状態を作り出さなければならない。
2010年4月8日木曜日
デッサン上達には筋トレ
紙を横断するような長い線は、補助線としてつかったり画面に一体感を出すために必要なものである。これが曲がっていたりすると勢いに欠けてしまう。しかし人間の腕には関節があって、まっすぐな線を引くようにはできていない。筋トレし、どんな状況でもまっすぐな線が引けるようになることが必要である。慣れると直線も曲線も巧みにコントロールできる。
2010年4月6日火曜日
グラデーションの練習
鉛筆でグラデーションをつくる。ほとんど紙色に近い薄いグレーから始まり、これ以上黒く出来ないと思われるような漆黒まで。ちょっとした力加減で階調が崩れてしまう。正確にできていて錯覚に捕らわれてはいけない。明度が違う2種類の色の境界部分は、お互いの色に影響されあってそれぞれわずか平滑さに欠く気がしてしまう。逆にそうなっていれば正しいと言える。時間をかけること。こすらないこと。
2010年4月5日月曜日
鉛筆で紙の目は潰れる
画用紙へ鉛筆で何度も線を描いていると、重なり合ったところは黒い面となってくる。あまりにやり過ぎると、一定の時期から黒鉛が付かなくなってくる。紙の目が潰れてしまうのだ。濃い色調は重厚感出て高級感も感じられるが、やり過ぎは良くない。コントロールができなくなる。紙の状態をよく見てちょうどよいところでやめるのがよろしい。
2010年4月4日日曜日
支持体の描き味
紙の表面はぼこぼこしているから何かをなすりつけたときに固着する。絵画の支持体がどのような感触でどのような抵抗感があったのかは、制作者にしかわからないことである。カツカツ、ゴシゴシ、シャーシャーといった感触から生まれる感動もある。高度に進化したコンピュータ用入力装置、たとえばペンタブレットが表面の状態をいかにシミュレートするのか興味深い。まだまだ発展段階である。
2010年4月2日金曜日
描画用紙いろいろ
描画用の紙の種類は多い。西洋絵ではパルプからつくられた洋紙を使うが、墨を使う東洋の絵は素材もいろいろ、伝統的な手法によってつくられたものを使う。用途によって表面の凸凹が違ってくる。水彩画は、アルシュやワトソンなどの紙、処理の違いで荒目、中目、細目がある。絵の具の浸透をコントロールするためにゼラチンが入れられている。日本画ではドーサをひく。紙は弱い印象があるが、案外強いものがある。多少引っ張ったぐらいでは破れないものも技法に耐える上では必要な性質である。
2010年4月1日木曜日
デッサンの幾何形態
初心者がデッサンをはじめるにあたって、一番簡単なモチーフとして石膏でできた幾何形態を描く。立方体や直方体、円錐角錐、多面体など。見たまま描くという基本に則れば、構成する線は少ないし、面の塗り方も一様で、簡単な気はする。しかし、実際に描くとなかなかそれらしくならない。立体を感じさせるために見えない要素を添加すると良いが、初心者がやると失敗する。上級者になると、距離感や遠近感、空気感を、この味気ない対象に込めるのである。イデアの世界である。
2010年3月31日水曜日
回転体の教材化
回転とは軸を中心に回転移動することである。たとえば、粘土造形でろくろは典型的な回転体利用である。ある特定の位置がまたもとにもどるのであるから、軌跡は円となり、かたちづくられるものは円形となる。軌跡に沿って線を入れれば同心円のきれいな文様になり美しい。無限の平面を切り取る四角い紙ではなく、円や円筒形を支持体とした美術作品を教材として開発してもおもしろい。
2010年3月30日火曜日
回転体と盆灯籠
仏前に据えられる盆灯籠には、派手なものになると色々な仕掛けが組まれている。電灯を使うタイプで、発せられる熱を利用し、それが光源に被せられた円筒上部のファンを動かす。円筒状の動体側面は透明なフィルムが貼られていて、模様が回転すると透過光が周りを照らす。あの世の雰囲気を醸し出すのである。熱を動力に変えることと、光をコントロールすること、簡単な装置であるがよく考えられている。光を使った美術教材として利用できる。
2010年3月29日月曜日
回転体をテーマにした教材
シリンダーを構造にもつオルゴールは動力が無くならない限り永遠に音楽を奏でる。円筒は回転すると面の特定の位置はまたもとに戻ってくる。日常円筒が回転する原理を用いている道具や機械は無数にある。車輪の発明は文明繁栄のきっかけであるが、そもそも回転体は文化文明の本質に位置している気もする。そういう意味で回転体を用いた美術教材開発はたいへんスリリングである。
2010年3月28日日曜日
オルゴールの再評価
時計の目覚ましが電子音であることに誰もが慣れてしまっている。古い柱時計の鐘は巧妙に金属などで作られた発音体である。良い音がする。高度にシミュレートされた人工音が氾濫する日常で、かえってアナログな発音方式をもつものは新鮮さを感じる。オルゴールは櫛状の金属発音体を使う。電子音ではない。普及型のオルゴールは木の筐体をつかっていたりするので、文様や絵など工芸細工がしやすい。音楽は一曲しか選べないのも良い。流行の兆しである。
2010年3月27日土曜日
デッサンでのトリミング
対象物をバランスのとれた構図に収めるには、構想の段階でトリミングを行う。デッサン用具のデ・スケールを使うと短時間に何通りものパターンを試すことができる。時間があれば画面上で枠をとり練習してみる。写真を撮影するときの構図決めも練習になるので実践すると良い。奥行き感、空気感を意識する。
2010年3月26日金曜日
ポートフォリオの作成
礼儀正しい駆け出しの若手作家は、自分の作品を売り込むために、特徴的なものを写真などにして集めたポートフォリオを作成する。一瞬にして魅力を伝えなければならないので気を遣う。それ自体が作品的魅力をもたなければ、良い印象は与えられない。同じようなものの羅列ではパッとしない。でも方向がばらばらでは理解できない。なによりも時間をかけて他者の視点でまとめるのが良い。
2010年3月25日木曜日
デッサンには木炭
デッサンは鉛筆でやるという先入観の人もいるが、初心者は特に木炭から始めると良い。木炭は柔らかく伸びも良い。重ねることにより純粋な黒色を作り出すこともできる。ちょっと触れば簡単に変化をつけられる。栁や桑の木から製造する。状態の良いものを作るのには手がかかるのか一般に手に入る高品質なものの値段は高めである。自家製造するのは難しいか。きれいに揃えた枝や材を密閉容器に入れて600℃ぐらいまで加熱、炭化させる。色々な木を使って実験するのも良い。
2010年3月18日木曜日
縦線横線ななめ線を描く
まっすぐで長い線をフリーハンドで描くのは思ったより難しい。腕と手の構造もあって、定規で引いたようにはいかない。しかし練習を重ねると引けるようになるのである。ひたすら紙に向かって縦線横線を描く。建築系のスケッチをする場合には、簡単に正確な直線が引けると美しいものができる。時間と労力によって得られる鍛錬の賜物。
2010年3月17日水曜日
デッサンの必需品
デッサンで必要な道具には定番のものがある。日本で美術系進学を目指す若者は必ずそのスタイルを経験する。これが逆に枠を越えた柔軟な人材育成を阻害している可能性もあるが、型は型である。道を究めるには親方を見て学べである。木炭デッサンでは、木炭、木炭紙、カルトン、下敷きの新聞紙、クリップ、イーゼル、ナイフ、食パン、芯抜き、擦筆、ガーゼ、計り棒、デスケール、フィクサチーフなど必要。鉛筆デッサンでは、鉛筆、画用紙、練り消しなどが入り他は木炭と同じ。計り棒、デスケールは工夫で自作できる。計り棒は自転車のスポークが強くて良い。
2010年3月16日火曜日
デッサンの補助線
補助線は補助になる線であるから最初から強く描いてはいけない。見えるか見えないかの細さで、描いているうちに消えて無くなるような状態が良い。だだし、弱くてもひょろひょろと頼りない曲がった線ではいけない。直線を基調に画面いっぱいに広がるような長い線が、描画の頼りとなる。長い線の組み合わせで見えてくる正しい位置とかたち。最初から輪郭線を描いてはいけない。何本もの補助線によって導き出される正しい線を最終的にしっかりと描くのが最善のデッサン方法である。
デッサンの垂直線水平線
紙に描くデッサン。構図を上手にきめるためには広い視点が必要である。紙面は垂直線と水平線で切られている。この中にバランスよくモチーフを入れるのには垂直水平を基準にすると位置を決めやすい。部分だけで決めると失敗する。全体を見ること。一般に垂直に立っているものは、紙の垂直に合わせれば傾くことは無い。水平も然り。しかし、より深い奥行き感や意図的な傾きを狙った場合は、単純すぎる配置はかえって面白味を薄れさせることもある。基準は常に気にしつつも、思い切って描くのが良いデッサンのコツである。
デッサンの光空間組立
精密なデッサンには正確な光のコントロールが必要である。デッサン室はほとんどが北向きで直射日光が入らないような場所に位置している。光源ができるだけ遠い、平行光線が理想。環境光もなければ宇宙空間のような強烈な陰影になってしまう。陰影は素直に描けばその通りになるが、絵画にするためには制作者の頭のなかで光の空間を組み立てなければならない。いかにそれらしく見せるかは、見たそのままに描くのとは少し異なる。よく観察して描けるようになった次の段階は、非現実で現実以上のものをつくり上げる技術である。
2010年3月12日金曜日
デッサン用鉛筆の削り方
鉛筆をきれいに削ることができない子どもは今や親の世代となり、字や絵はシャープペンシルとプラスチック消しゴムで書くもの思っているらしい。木炭やパステルを上手に使えなくても、鉛筆ぐらいは自然に使えるようにしてほしい。白黒のデッサン、まず鉛筆を削るところから。芯は少し長めに出し、軸の削り始め位置から芯先まで直線となっていること。製図用の芯先は平べったくするなど使い方によって削り方の違いはあるが、最小限の力によって描画する表面へ効果的に炭を付着させられるようにするのが目的である。
2010年3月11日木曜日
写真に写せない作品
微妙な色合いやマチエール、繊細な細部。写真だとよく判別できなくなるであろう特性をもつ美術作品の価値は高い。写真に写らないものは別の観点でも存在する。それは、大きすぎるもの、視野に捉えられずスケール感がつかめない作品である。オリジナルに接しないと、何であるかわからないものも、写真に写らない(写すことが出来ない)ものとして分類される。展示会場の空間容量いっぱいつかって、迷路迷宮見せ物小屋にすると、写真で紹介することは難しくなる。どこでもで展示できる作品も取り扱いが楽で良いが、たった一つその場所でしかできないものにはいわゆるオーラが宿る。
2010年3月10日水曜日
3D技術のツボ 偏向
3Dの技術改良が進み、商業ベースで現実的に実社会に商品が投入されてきている昨今である。昨年は3Dを全面に取り入れた大作映画が公開されたり、今年に入って3D対応の家庭用液晶テレビが次々に発売されつつある。3D映画で使われている方式は一つではない。RealD XpanD Dolby3Dなど統一した規格にはなっていない。Sonyと東芝のテレビはRealDの技術を取り入れているようである。これらの多くは偏向フィルターを使う。偏向フィルターは、光の性質を理解する助けになる。デジカメもPLフィルター一枚で劇的な変化が楽しめる。偏向フィルターを応用した作品づくりに可能性がある。
2010年3月9日火曜日
デッサンの構図練習
タブローにおける構図決定は、何回ものエスキースを経てのことであるから大きな間違いは修正されているのがほとんどである。デッサンは習作であるから構図で失敗していることもある。一般に美術系大学受験のためのデッサンでは、構図は最重要な要素の一つである。画面に対して無駄な余白を作りすぎず、かといって窮屈にしないようにバランスをとる。多くはモチーフが少しはみ出すぐらいにすると美しく配置できる。構図の練習のための訓練をシルエットを使ってしても良い。
2010年3月8日月曜日
デッサンの線の入りと抜き
漫画制作では線を大切にする。大作家のアシスタントとしてまず何をやるかと言えば、ひたすらきれいな線を引く練習をすることでしょう。入りと抜きを美しくコントロールできるまでにどのくらいかかるのか。デッサンの線を美しくするには入りと抜きは重要である。弱い筆致ばかりでは美しい色は出ない。時に力強く、しかしそれでいて最初と最後は繊細に処理することが大切。
2010年3月7日日曜日
写真に写らない作品
美術作品の色彩の微妙な変化を写真に写し取るのは難しい。僅かな光で変化する表情、絞って一瞬を固定する写真では、人間が瞬間に感じている時間は描き出せない。美術作品を写真や複製ではなく、本物でみることはその価値を感じることである。どんなに高精細なデジタル画像でも、入力装置と出力装置の性能以上のものは表現できない。世界がデジタルデータのみで置き換えられない理由はここにある。写真に写らない、写してもその表情が感じられないような作品は、特殊な価値が見いだされるであろう。
デッサンは周りからせめる
高校の美術の先生や予備校の先生から教えられたこと。デッサンは空間を感じなければいけない。絵の中で描きたい物だけを描いていても、決して良くならない。その物がある周囲の空間を描き出すこと。周りを描かなければその中にあるものの質は上がらない。デッサンは全体をみて部分をみて、ものをみて描いて、そのものの周りを描いて、焦らず丹念に線描を重ね、時々離れてみる。
2010年3月5日金曜日
竹素材の良さ
竹は里山に行けばどこにでも自生している身近な素材である。節があり、縦に裂ける特性をもち、適度に固くまた加工にできるほどに柔らかく、弾性があり、自然に還るという性質をもつ。竹製の工芸製品はアジア一帯、日本にも民芸品として多種多様に存在している。しかし、現代的な都市生活では、竹串ぐらいしか見る機会が無い。もっと竹素材を仕える技術をもちたい。教育分野で必ず竹を使う単元を入れたら良いのではないだろうか。
表現科の分類
旧来の芸術の分野分けは基本として、教育のための新たなる断面をつくる。哲学、宗教、文学、美術、建築、工芸、音楽、演劇などの分野のもち方。物質系(外界のオブジェに対しての行為)、身体系(一オブジェとしての身体を使った行為)、精神系(意識の働きに注目した行為)。身体と精神は一体のものであろうが、歌を歌ったり運動をしたりといった行為は身体系である。表現科は、名が表現であるからといって、発信することまたその技術のみに注目した科目ではない。
2010年3月2日火曜日
芸術教育のバランス
子どものための芸術教育を考えたときに、現在の日本では少しバランス感を欠いた科目構成になっている。文科省の発する学習指導要領に縛られ、頑なになっているのだろうか。小学校で図画工作や音楽、中学校では美術と音楽、高校になると芸術として、音楽・美術・書道から選んで選択するようなのが一般的な学校である。小学校で近年”造形遊び”などといういものが出てきているが、芸術の専門家でない先生は頭を抱えている。写真や映画、演劇やダンス、メディアアートやパフォーマンスなどへ応用していける基礎が必要。まとめて<表現科>の設置はどうであろう。
2010年3月1日月曜日
アボリジニの文様と色彩
ディジュリドゥには、アボリジニの文様が描かれる。単純なパターンを複数組み合わせるもの。ひたすら点描で取り憑かれたように描かれるもの。このような文様は、何万年もの歴史の中で伝えられ、洗練されてきたものである。素人が真似してその精神性を受け継げるものではないが、子どもの素朴な手仕事には向いている。使われる色彩は、白、黒、黄、赤などである。鉱物や動植物から得られ易い色彩なのであろう。この色彩を自然物から顔料にする作業も魅力的である。
2010年2月28日日曜日
ディジュリドゥ
ディジュリドゥはオーストラリアの先住民アボリジニが伝える古い楽器である。ユーカリの木の中心部をシロアリに食わせ、筒状にしたものを彩色などして作る。近年、テクノ・トランスなどレイブカルチャーの台頭とともに認知が進み、音楽に取り入れられている。形が単純で音も原初的、神秘的なイメージを想起させやすい。竹や塩ビ管などでも代用できるので美術教材として最適である。
2010年2月26日金曜日
静的プレゼン音に注目
静的なプレゼンであっても、切々と話すだけでは飽きがくる。音響効果は実に大切な要素である。文字が回転して飛び出てくるときに効果音は必要ない。出来の悪い子どもアニメを見ているようで気持ちが悪い。場面の情景を環境音として添付させる。BGMとすると意図が強すぎるので、サティの音楽のように意識しないで感じられるレベルで。自動生成させるのもおもしろい。
2010年2月25日木曜日
静的プレゼンの価値
PowerPointが嫌いだ。同じくOfficeによる書類作成が嫌いだ。膨大な機能の選択で思考が停止する。もし最近の学校教育で情報機器活用と称してOfficeの使い方のみを学んでいるとしたら、たいへんな時間の浪費と創造的な人材育成の妨げである。文字や画面が意味もなくキラキラと動く必要は無い。プレゼンテーションを静的に再構築してみるのはどうだろうか。PowerPointの紙芝居ではなく、うまくレイアウトされた一枚の企画書を練り上げる手法で。
2010年2月24日水曜日
レイヤー機能は静的プレゼン
IllustratorやPhotoshopの機能にレイヤーが搭載されて話題になったのは、ずいぶん前の歴史である。レイヤーは随時複数の階層を表示させたり消したりできるので、目的によって最適なオブジェクトを多様に視覚化できる。もっとかなり過去にOHPという装置が使われていたことがある。たとえば学校では、まじめな先生が透明なフィルムに何枚もカラフルなマジックインキで書き重ね、苦労して視聴覚教材をつくっていた。苦労した甲斐無く、光量不足で部屋を暗くしたために子どもが興奮してふざけて騒ぐという結末が多かったと思われる。現在では、大光量のプロジェクターとレイヤー機能が使えるソフトウェアが手軽に使えるのである。
2010年2月23日火曜日
線描の訓練
鉛筆を描画に適切な形に削り、細い線を無数に組み合わせて描いていく。ハッチングの面白さを感じる。また一方で、優しいタッチで柔らかい表情を出していく。コンテやパステルを自由奔放にかきなぐるのも良いが、鉛筆を使って丹念に描くことは大事にしたい。鉛筆による濃淡のグラデーション、ハッチングによる模様づくり、モザイク状にかたちを変換し写生する訓練。
2010年2月20日土曜日
模写の現代性
大量のデジタル画像が溢れる日々。実は一枚一枚画像を細部にわたって忠実に観る機会は少ない。大量な全体であるから部分はさらに最小化していく。かつてのアカデミックな美術教育は、真似ることが基本であった。現在も職人技の伝承は基本真似である。マネを真似しろと言わないが、絵の具を使いひたすら手作業で模写することは新鮮であり実践すべき題材である。
2010年2月18日木曜日
ミニチュア屏風の発展形
日本美術鑑賞学習と兼ねてミニチュア屏風をつくらせ、独特な空間構成を学ばせる授業案がある。単にレプリカをつくるのは作業的で、生徒にとっては取り組みやすい素材でお手軽である。これを、真似るだけでなく、創造的に発展させたら不思議な作品ができるかもしれない。道端のグラフィティも屏風形態にしたら変化がついて面白い。
2010年2月17日水曜日
木材切れ端ブロック
木材の切れ端はゴミになる。出てくる材に規格があれば、お手軽なブロックになる。白木でも味わいがあるが、着彩すればちょっとしたデザイナーズトイの風格が出る。ミッフィーの色のように限られた数でカラーシステムをつくりオリジナルの木材ブロックを造形活動につなげてみれば面白い。
2010年2月15日月曜日
カルタをつくる
上毛カルタというものがある。群馬県民は何故か皆知っている。
百人一首は最も有名なカルタの類であろうが、全国にご当地カルタといるものがあるらしい。
教材としてカルタづくりをしてみても面白い。文字のイメージから意味へ、数多く必要なイラストは想像力を総動員させる。
百人一首は最も有名なカルタの類であろうが、全国にご当地カルタといるものがあるらしい。
教材としてカルタづくりをしてみても面白い。文字のイメージから意味へ、数多く必要なイラストは想像力を総動員させる。
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