2020年4月26日日曜日

インターネットで合奏 リアルタイムで繋がることの幻想


 補正する技術が高度になってるためか、日々の通信にタイムラグがあることを感じなくなっているようである。しかしインターネットでのデータ通信は、基本的に幾つかのサーバーを中継しているという前提において、リアルタイム性が保障されるものではない。衛星中継が始まった頃は、こちらが話したことがしばらく遅れて相手に伝わり、逆に相手の話が遅れることに不都合さを感じながらも新鮮さを体験したものだ。帯域の狭いインターネットでのビデオ通信などは、現在も明らかに遅れていることを感じるときはある。テレビのデジタル化で、デジタルの変換に時間がかかる。ズレる時報などの正確さを出すために補正して送出しているのは知られた話である。
 最近コロナの影響で、インターネット配信が流行になっている。方向が一方向なものはよい。最終的に届けば良いのでタイムラグなど気にしなければよい。通信が行って返ったり、いくつかを同時に合わせたりする場合はたいへんである。リアルタイムにオーケストラや合唱を複数で同時に合わせて配信するというのはどういう技術になっているのだろうか。曲が確定している場合は、伴奏や指揮にあたるクリック音などを基準に設定して、各所でそれに合わせ、時間差があるが、補正すれば最終的には合奏になりそうである。しかし、相手の音を聴きながらそれに自分の演奏や歌声合わせて統合して演奏とするという方法はできないのかもしれない。ネット通信のタイムラグが生じるからである。
 ということは、合奏で心がつながるなどと言いながら、究極には自分一人で完結したものが、たまたま合わさって合奏になるというかたちにしかなっていないということになる。厳密なリアルタイム性を追究すると、ネットで一体感をもって繋がるというのは、まったくの幻想である。分離した個が、他と決して混ざらない一方向の立場を差し置いて、全体があるがごとくの幻想の中で安心するという行為なのかもしれない。
 よく流行っている砂糖水のCMとか、ああいうエンターテイメントに感動する人とか、ちょっと全体主義的で苦手である。

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