コロナウイルスによって亡くなった方の最後に強い衝撃を受ける。死がゆっくりと安らかなものであれば、言葉を話すヒトが終わり、モノになっていくまでの経過をなんとか受け入れることができる。遺体が朽ち果てていくのも、ヒトの入れ物が動物の一種であることを理解すれば想像できるし丁寧に葬ることもできる。しかし、パンデミックによって命を奪われた人々は、感染を恐れる社会によって隔離され隠される。死のスピードがあまりにも速すぎる。数日で数千数万単位の命が消えていく。イタリアやスペインでの悲惨な状況。アメリカニューヨーク州では、対処できなくなった遺体を冷蔵せざるをえない。これ以上被害を出さないというのが最優先で、個人の尊厳はその後の話。ビニールにつつまれたご遺体が次から次へと冷蔵車に運び込まれる。これは現実かと疑いたくなるような光景を目にすることになる。死の間際、近くに居て手を握っておくることができない。残された人々は、突然遮断された関係を受け入れられない。それでも社会を存続させるためには、対処しなければならない状況。狂った経済成長の豊かさ(?貧困や環境破壊を孕んだ)と引き替えに、ヒトの身体は残酷なスピード感を与えられてしまったのか。人間社会の現状について考えさせられる。
0 件のコメント:
コメントを投稿