2020年5月12日火曜日

新型コロナウイルスについて考える 20200512

人間にとっての新型コロナウイルス、自然にとってのそれ。出発点が違うとまったく別物になる。人間至上の立場から言えば、健康を損ね、経済を停滞させるウイルスは、たいへん危険なもので忌み嫌うものである。しかし、自然にとっては、まったく何でも無い数百万とある種の一部、配役も与えられていないものとも言えるかもしれない。配役をつけるとしたら、地球環境全体を含めた自然、いわゆるガイア的考え方で、人間を押さえる救世主として捉えられるかも知れない。
人が外出しない大都市は、大気汚染が無くなり、飛行機の飛ばない空は澄んでいる。これが長く続けば、人間の出すゴミも少なくなり、海洋汚染や乱獲乱伐も押さえられ、多くの種のわずかな存続の望につながるかも知れない。
新型コロナウイルスは、猛烈な毒性をもったものではない。感染した人が自覚もなく、知らぬ間に感染を広げることもある。特徴といえば、そのしたたかさである。人間を恐れさせ、行動を鈍らし、心理的に活動を妨げる。社会システムに混乱を与え、それによって人を滅ぼす。
現在の地球で、このようなものが出てくることは皮肉である。人間にとっての脅威は、自然にとっての恵みにもなりえる。皮肉というよりは、必然なのかもしれない。人間がそれを自覚していないと本質的な解決にはならない。
この騒動で、人間社会のもつ暗部がにわかにさらけ出されている。貧しく近代的な医療の恩恵に与れない人々にとっては、直接命に関わる危機。高齢者や疾患をもつ弱者にとっても脅威。でも人類は、その不都合の解決に挑戦もしてきている。本当のウイルスの脅威は、人間が真剣に強い自然と対峙できるのかどうなのかを自覚していないことである。滅びと復活が人類そのものなのだと言えばそれまでであるが。
covid-19が世間を賑わすころからこの種の発言は僅かにはあると思われる。一部のカルトな考えや、終末思想は除外して、もっとゆっくり時間を有効に使って冷静に考えていく機会としたいものである。

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