縄文時代、古代の人々はいったい何を目的にして土偶を作り出したのだろうか。
祭祀の道具?安産祈願?お守り?遊具?それともただつくるのがおもしろかったから?
今となっては、遺物をもとに推測するに止まる。
それでは、現代人にとっての土偶とは何であろう?
物質文明の行き着く先、我々の発想・思考・行為は、物の支配に押しつぶされてしまうのか。かつて、手にした土偶をもとに、日常の諸々から宇宙の世界にまでも思いを馳せていた精神性も忘れてしまって。
しかし、そうは思わない。
現代、若い感性が思いを巡らし、自ら手を動かして現代のDogu土偶を創造する。